株式会社医学通信社 『月刊保険診療』
2008年3月号
[リレーコラム 医療地図の描き方]
当社の創業経緯
当社は、全国の病院を対象とした「職員満足度」および「患者満足度」のベンチマーク調査により、『医療の質』を可視化することを中核事業としています。
私自身は当社を創業する前に、都市銀行や一般企業での経営企画職の経験を買われて、大手医療法人の企画室長として急性期病院の経営改革に携わりました。かのピーター・ドラッカー氏が「世の中で最も複雑な組織は大病院である」と指摘したように、大病院のマネジメントは一般企業に比べても非常に困難な仕事でした。
病院で働く医師やスタッフの多くは高度な専門性を持つと同時に、高い倫理観や使命感をもって患者さんのために懸命の努力を続けています。現在の日本では制度的な限界もあり、現場が努力して『医療の質』を高めてもなかなか報われないという大きな矛盾を抱えています。一方、病院のマネジメントには職員の”ガンバリ”を適正に評価し、優秀な人材を確保し、組織を活性化することを通して、医療の質を高めることが求められます。ヒト・モノ・カネの3要素の中で、病院では「ヒト」のマネジメントが最も重要なことは論を待たないでしょう。
私も各職員の目標設定や適正な評価に最優先で取り組みましたが、病院内に存在する財務データや臨床データを駆使するだけでは限界がありました。一般企業との決定的な違いは、医師も看護師も優秀な人材ほど「お金のため」ではなく、「患者のため」に何をしたかで評価されたいと望んでいることです。そのような職員の思いと現実的な経営の仕組みとのギャップを埋めるために悩み、内外の先進事例なども研究するうちに、「職員や患者の声を集めて医療の質を可視化することなくして、これからの病院マネジメントはうまく機能しない」と考えるに至ったのです。
このような経緯で、病院の満足度調査を実施し、病院経営に役立てていただくことを目的としたベンチマーク事業を開始して3年が経過しました。ちょうど良い機会ですので、私が創業時に立てた仮説を検証しながら当社の取り組みをご紹介したいと思います。
職員満足度調査は非常に有効なツール
まず、職員満足度調査は私が事前に考えていた以上に病院のマネジメントに有効なツールだという手応えを感じています。
職員満足度の調査結果は、他の病院と比較することによってその病院の強みと弱み、職員のモチベーションの状況が極めて明確に可視化されます。職員の方々も協力的なため、調査結果の信頼性も高く、報告時に「うちの病院は違うよ」というような否定的な反応をいただくこともまずありません。
職員満足度調査では、定量的な分析だけでなく、職員の声に関する考察も非常に重要です。個々の調査結果について言及するわけにはいきませんが、フリーコメントの内容を分析すると、その病院で提供されている医療の質をほぼ正確に見極めることができます。また、病院の経営課題の多くに職員はすでに気付いていて、解決のための手がかりが職員の答えの中にあるケースも少なくありません。
ただし、調査を実施するには、経営者にもそれなりの「覚悟」が求められます。職員の声を聞く以上は、多くの要望や期待に応えるだけの責任が発生することにも留意する必要があります。彼らの声を無視すれば、調査を行うこと自体が逆効果になってしまうからです。
調査結果の報告時には、できるだけ私自身が病院を訪問して、良いことも悪いことも客観的にお伝えするように努めています。理事長や院長をはじめ小数の経営幹部の方に報告して「覚悟を迫る」ことが多いのですが、調査結果を真摯に受け止めていただき、その場ですぐに生々しい議論が始まる場面に何度も遭遇しています。そして、そのような議論を通して職員に「適切なメッセージ」を発信することができた病院では、その後の経営、そして経営者・職員間の信頼関係が大きく改善することにつながります。
経営者が現場の状況を的確に把握し、今後の病院のあり方を考えるためにも、職員満足度調査は極めて有効なツールです。優秀なスタッフのモチベーションを高め、競争に勝ち残る病院づくりのために、是非参考にしていただきたいと思います。
患者満足度は他院比較よりも経過観察
職員満足度に比べて、患者満足度の調査結果は、正直なところ病院間での格差があまりはっきりとは出現しません。程度の差はありますが、大多数の患者は「治療結果に満足」し、「医師やスタッフに感謝」しているのです。
患者満足度は、受けた医療の内容や対応したスタッフだけでなく、その人の疾患の程度や経済状態、そもそもの性格や価値観によって大きく左右される主観的なものです。また、医療自体が情報の非対称性が強いことや、社会保障制度についての理解が不十分な患者も多いことから、評価者としての患者教育の必要性も感じています。病院の経営努力やスタッフの”ガンバリ”がある程度は反映されているとは言え、提供されている医療の質を病院間で客観的に評価するために完全に信頼できるツールかどうかと問われると、残念ながら現在の患者満足度調査だけでは不十分だと答えざるを得ません。
また、個々の病院の取組みだけでなく、国あるいは地域の医療システムといった大きな枠組みからも患者満足度は明らかに影響を受けます。たとえば、急性期病院の患者経験調査では、多くの病院で「費用」と「退院」に関する不満が上位に出現します。医療費に関する適切な情報提供や、退院後の支援体制は、国や地域全体の課題として解決が図られるべきもので、個別病院の現場に全責任を押しつけるわけにはいきません。
このように考えると、患者満足度調査は他院と比較する意味よりも、院内で継続的に実施して経過観察に用いるのが正解だと思います。半年あるいは1年ごとに同じ調査方法で実施して推移を見守ると、人事や運営方法の変更など病院の施策と満足度の変化が見事に一致するケースも多く、経営がウォッチすべき指標であることは間違いありません。さらには、各部署でのPDCA活動やバランストスコアカード(BSC)の目標との連動など、組織運営に効果的に活用している病院も増えてきたように思います。
満足度調査との付き合い方
アメリカでは、医療の質を可視化する取組みとして、さまざまな臨床データや患者満足度に基づくベンチマーク分析が日本よりもはるかに進んでいますが、これには病院よりも保険者の意向が強く働いているようです。そのために病院は必要以上に多額のコストをかけて調査や対策を実施しなければならず、それが医療費高騰の一因となっているのは皮肉な事実です。
職員満足度も患者満足度も、医療の質を測定する上で重要な指標であることは間違いありませんが、限られた経営資源の中で個々の病院が実現できることには限界もあります。そのことをよく理解した上で、外部の声にただ振り回されるのではなく、取り組むべき真の課題を明確にし、経営上の優先順位をつけるために、病院経営者が自らの意思で主体的に取り組むというスタンスが重要だと思います。