『モルゲンロート』
2009年1月号
最近のニューズウィーク誌でも特集記事が組まれるなど、「メディカルツーリズム」と呼ばれる国境を超えた患者と医師の大移動が始まっています。年間100万人以上の外国人患者を引き寄せるタイやインドをはじめ、韓国、台湾、マレーシア、シンガポールなどでも国の産業政策として海外患者の獲得に積極的に取り組んでおり、医療水準、サービス、療養環境、マーケティング力を競い合っています。
メディカルツーリズムは世界規模で年間300兆円ともいわれ、急速に市場規模が拡大しています。これに取り組む病院の多くは国際的な医療企業グループによって経営され、金融市場からの資金調達力を背景として豪華ホテル並みの設備やアメニティを有するとともに、海外の保険会社とのアライアンスなどグローバルなマーケティング戦略を推進しています。また、米国の評価機関の国際認証を取得したり、先進国の医学部を卒業した医師を採用するなど、医療の質の向上にも積極的に投資しており、東南アジア諸国にあってもこれらの病院の医療水準はすでにグローバルスタンダードに達していると考えられます。
ただし、気になるお値段(医療費)は決して安くありません。たとえば、バンコク市内で外国人患者が最も多いバムルンラード病院では、一般個室の入院料が1日約6,000バーツ(約17,000円)で、ドクターフィーも病気や医師によって数十万円単位で別途必要となります。タイの物価水準は日本の4分の1程度にもかかわらず、これらの病院の医療費は逆に日本よりも高く、今のところ日本人がわざわざ渡航するメリットはあまり感じません。しかし、医療費高騰に悩む米国人や産油国の富豪から見れば、質が高く快適な医療を安価で受けられるとの理由で人気が上がっているのです。
一方で、医師の労働市場も国際化の影響を無視できません。有名な話としては、イギリスが1980~90年代に医療費抑制政策を続けた結果として大量の医師が海外に流出し、イギリス国内の医療需要に対応するためにインドなどから多くの外国人医師を採用しなければならない事態に陥りました。現在は医療費を適正な水準まで増加させて医療供給体制の回復を図っていますが、一旦崩壊してしまった機能や医師のモチベーションを元に戻すには長い年月がかかると指摘されています。
日本でも、質が高く安全な医療を求める国民のニーズは増大しているのですが、これまでの日本の医療政策は総額医療費を抑制しつつ「格差を設けず平等に」という社会保障の概念が優先され、医療の質を高めるための投資や現場の努力が適正に評価されるような制度設計が遅れています。また、病院経営にはさまざまな規制が存在し、収益性も低いため、国内外の金融市場から資金調達を行うことも困難です。そして、「医師不足」や「医療崩壊」などの言葉が連日メディアをにぎわす中で、過度の負担が現場にしわ寄せられ、優秀な医師や看護師の心は折れ、現場からの離反が拡大するという悪循環に陥っています。
イギリスの場合は、言葉の壁がないことや、医師免許がEU諸国や旧英連邦諸国でも通用することもあって、医師の海外流出が増えてしまいました。幸いなことに、日本の医師免許は現在は国際的にはほとんど通用しません。そのため、多くの日本人医師はまだ日本国内にとどまっていますが、アジアや中東あたりの病院が「優秀な医師が安くこき使われている」日本の労働市場に目をつけて、日本人医師を高待遇で迎え入れるようなことが始まってもおかしくありません。
このように、日本の医療を取り巻く世界の環境も大きく変化しています。日本の医療が空洞化し、世界から取り残されてしまわないように、医療にもグローバルな視点が求められているように思います。
(2月にバンコクの病院視察ツアーを計画しています。ご興味があればお問合せください。)